
物を大事にする。
でも、嫌いなものは大事に出来ません。
結局、全ての根本はそこにあるのでは無いでしょうか?
好きだからこそ、物を大事にする・・・・
そうする事によって、生まれる感情があります。
その感情を" 愛着 "と言います。
例えば、お気に入りのシャツ
大事に、出来るだけ長い期間、着たいと思いますよね。
ところが・・・「失敗した、こんなの買うんじゃなかった」
と思う様なシャツは、着ない、当然大事にしませんよね~ ^_^;
数日前のブログに、次の様な事を書きました。
100年住宅とは、100年持つか持たないかではなく
100年住んでいたいと思う家。
100年持つ家を建てたところで
『この家が好き、ずーっと住んでいたい』
そう思える家でなければ、必ず(と言ってもいいと思います)
30年もすれば、その家を壊し
建て替えを考えるようになってしまいます。
一番大事なのは、その住まいを、心底好きになれるか
その住まいに" 愛着 "を持って一生住んでいたいと思うか
その住まいは、胸を張って、人に誇れる住まいか・・・・
残念ながら、今の日本には、そういった住まいは少ないのです。
それは、造る側の問題だけではなく
そこに住む人の、考え方の問題でもあるのですが・・・・(ーー;)
この辺の考え方がしっかりしている・・・・と言うより
大事にしているのは、ヨーロッパの人たち
それも北に行くほど、その感情は強い様に感じます。
それは、家だけに留まらず
存在する全ての物に言えること。
例えば、お気に入りの家具
例えば、お気に入りのテーブル
例えば、お気に入りのはさみ
例えば、お気に入りのコーヒーカップ
もちろんそれは、お気に入りのものだけに限りません。
日常的に使用する物までも含め
全てのものを大事にし、手を加えながら
飽きることなく、何年も、何十年も使い続けていく。
もちろん" 愛着 "を持つに耐えうる物である
ということが、根本にはあるのですが・・・・。
その辺の話を、次回は書いてみたいと思います (*^^)v
ということで、今日のところはここでおしまい。
今日も読んでいただき、有難うございました。
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